第 29 章
ある日のできごと
昨年、トドラー(1 歳半〜3 歳)の部屋を担当していたときのことです。日本から来たばかりの女の子が通いはじめました。まだ数日しか経っていない頃で、毎朝、お父さんお母さんと別れる時間が、その子にとっていちばんつらいものでした。
それでも、思いきり泣いたあと、その子は自分で涙をぬぐい、深く息を吸って、保育室へ歩いていきました。わたしは、その一部始終を見ていました。そして、見たことを記録に残しました。子ども本人に宛てた、手紙のかたちで。
図版|朝のあの時間と、その日のうちに書かれた手紙(記録をもとに作図)
この場面は、豪州 GSE で書かれた学びの物語にもとづいています。ご家庭の許諾を得て掲載しています。

ハルカ先生
日本にいた頃、連絡帳は毎日書いていました。でも、返事をもらうことは、ほとんどありませんでした。書くことが仕事で、届いたかどうかは確かめないままでした。
保護者は、園に子どもを預けるお客さまでも、保育を採点する評価者でもありません。同じ子どもの育ちを願う、大切なパートナーです。ただ、そのパートナーシップのかたちは、国や地域の文化によってずいぶん違います。オーストラリアでは、朝も夕方も保護者が保育室や園庭まで入ってきて、保育者と自然に顔を合わせます。日本では、連絡帳という書き言葉の文化が、家庭と園を長いあいだ丁寧につないできました。どちらが進んでいるという話ではありません。この章では、日本とオーストラリアの背景の違いを見比べながら、それぞれの良さを生かして家庭とつながる道を探ります。あわせて、園のなかで保育者どうしが子どもの姿を語り合う文化についても考えます。
この章で得られること
この章を、まずスライドで
共に育てる関係
子どもは、園と家庭という二つの場所を行き来しながら育っていきます。園でどれほど丁寧に関わっても、家庭での時間を切り離しては、その子の育ちの全体は見えてきません。だからこそ保護者は、園にとって欠かせないパートナーです。保育者が子どものある一面を観察しているように、保護者は家庭でのその子の姿を、いちばんよく知っています。二つの見え方を持ち寄ることで、はじめてその子の輪郭が立体的に浮かびあがります。
この「持ち寄る」という関係は、文化の違いによってつくりやすさが変わります。日本の園では、先生と子ども、園と保護者のあいだに、自然と上下の関係が生まれやすいところがあります。それ自体は、決して欠点ではありません。先生を敬う気持ちが受け継がれてきたからこそ、任された役割を最後まで果たす誠実さや、行き届いた配慮が現場に根づいてきました。保護者が園を信頼して預けてくれるという土台も、この文化に支えられています。
一方でオーストラリアでは、保育者と子ども、そして園と家庭が「ともに育つ対等な関係」から出発します。保育者は自分を、答えを配る人ではなく、子どもの探究に並んで加わる人だと捉えています。保護者に対しても、指導する立場ではなく、同じ子どもをともに育てる相手として向き合います。オーストラリアの保育の指針である EYLF(乳幼児期の学びの枠組み)でも、家族との「パートナーシップ(対等な協働関係)」が、質の高い保育の中心に据えられています。私たちは、この対等さを毎日の関わりのなかで確かめ直しています。
どちらかの文化に乗り換える必要はありません。日本の園が積み上げてきた敬意と丁寧さは、そのまま大きな財産です。そこに「ともに育つ」という向きを少し加えるだけで、保護者との関係はずいぶん風通しがよくなります。
この関係がいちばんはっきりかたちになるのは、記録を手渡した瞬間です。豪州 GSE のあるトドラールームでは、学びの物語(ラーニング・ストーリー)を、子ども本人に宛てた手紙として書きます。「〜さんへ」で始まり、その子の姿を、その子に語りかける言葉で綴っていきます。
毎朝、あなたとお父さんお母さんのあいだにある美しいつながりが伝わってきます。お別れのときがつらいのは、当たり前のことです。新しい場所と、ここであなたを大切にする人たちへの信頼を、いま育てているところなのですから。とくにすてきだと思ったのは、あなたの自信が育っていることです。気持ちがあふれたあと、あなたは勇気を出して涙をぬぐい、深く息を吸って、その日の探索に向かっていきます。
学びの物語より(豪州 GSE トドラールーム)
この記録には、続きがあります。担任がそこから何を読み取ったのかという分析と、次に何を用意するのかという見通しです。この子が園への帰属感を育てていること。参加する前に、まわりをじっと観察する慎重さがあること。日本語と英語のあいだで、自分の伝え方を探しているところであること。そのうえで、恐竜と感覚遊びと屋外の時間を用意すること、家庭の言語を大切にしながら英語も支えることが、EYLF の学びの育ちに結びつけて書かれています。
そして、わたしがこれを送ったあと、二日のうちに返信が届きました。
送りのときによく泣いていたので、いまは新しい友だちや恐竜、砂場での遊びを楽しんでいると知り、本当にうれしく思います。とくに、新しい毎日のなかで自立心を見せていることが、なによりです。これからの成長と、二つの言語でのやりとりを楽しみにしています。
その子の父親より
まだ通いはじめたばかりなのに、娘が安心して、幸せで、支えられていると感じているのが、もう伝わってきます。皆さんの優しさと心配りのおかげだと感じています。英語の語彙がこんなに早く増えたことにも驚きました。家でどんどん英語を使うのを聞くのは、思いがけないよろこびでした。家族の外のコミュニティに入るのは、娘にとって初めての経験です。これほど自然になじんでいる姿を見られて、本当にうれしく思っています。
その子の母親より
ここで起きているのは、報告と受領ではありません。園が見たことを差し出し、家庭が見ていることを返してくれています。そして「家で英語を使いはじめた」という、園のなかだけでは決して見えなかった事実が、この返信ではじめて園に届きました。二つの見え方が、この往復のなかで一つになっていきます。
私たちが信じていること
私たちは、記録を、保護者に見せるためのものではなく、保護者から返してもらうためのものだと考えています。
日本には敬意と丁寧さに支えられた関係の文化が、オーストラリアには対等さから出発する関係の文化が根づいています。どちらにも良さがあります。ただ、園が「教える側」、保護者が「教わる側」という構図のままだと、どれだけ丁寧に書いた記録も、一方通行の報告で終わってしまいます。同じ子どもの育ちを願う仲間として並び直したとき、はじめて返事が返ってきます。
接点のつくり方の違い
保護者との信頼は、大きな行事や面談だけで築かれるものではありません。日々の小さなやりとりが重なるなかで、少しずつ育っていきます。そしてこの「小さなやりとり」がどれくらい生まれるかは、送り迎えの仕組みそのものに大きく左右されます。
オーストラリアの園では、朝も夕方も保護者が保育室や園庭のなかまで入ってきます。子どもといっしょに荷物を置き、壁に貼られたその日の写真を眺め、保育者と少し言葉を交わしてから出ていきます。ほかの家庭とも自然に顔が合うので、保護者どうしのつながりも生まれます。特別な工夫をしているというより、送迎の仕組みそのものが毎日の接点をつくり出している、と言うほうが近いかもしれません。
日本では、門の前で子どもを受け渡すかたちや、送迎バスが中心の園も多く、保護者が保育室まで入る機会はそれほどありません。安全面や動線を考えれば、無理のないかたちです。ただ、接点が生まれにくいぶん、意識してつくらないと関係が薄くなりやすい、という一面もあります。その代わり日本には、連絡帳という書き言葉の文化が根づいてきました。話し言葉は流れて消えますが、書かれた言葉は残り、読み返せて、家族のあいだで共有されます。これは、立ち話にはない確かな強みです。
つまり、豪州は接点の回数に、日本は記録の深さに強みがあります。自分の園がどちらの資源を持っているかを見きわめて、そこを伸ばすのが近道です。そのうえで、伝え方の向きを少し整えます。うまくできなかったことばかりを報告していると、保護者は迎えのたびに身構えるようになります。まず、その日にその子が見せた良い姿を伝える。そのあとで、必要なことを一緒に考えていく。順番を変えるだけで、対話の空気はずいぶん変わります。
伝えるときの向き
同じ一日でも、どこを切り取って伝えるかで、保護者に届くものは変わります。「できなかったこと」の報告ではなく、「育ちつつあること」の共有へ。門での三十秒でも、連絡帳の一行でも、小さな良い姿をまず届けることが、家庭と園のあいだに温かい信頼を積み重ねていきます。
家庭教育の位置づけ
園に通う子どもたちは、それぞれ違う家庭からやってきます。使う言葉、食べるもの、季節の行事、家族のかたち。家庭の数だけ、暮らしの文化があります。第27章では、こうした多様性を園の豊かさとして受けとめる見方を確かめました。保護者との協働も、この見方の延長線上にあります。家庭の文化を園の外に置いておくのではなく、園のなかにそっと招き入れていく、という姿勢です。
オーストラリアでは、その前提として「子どもの教育は、まず家庭にある」という考えが広く根づいています。家庭で学ぶという選択も、めずらしいことではあっても、おかしなこととは受けとめられません。園は、その家庭の営みを引き受ける場ではなく、支える場だと考えています。だから保護者に対しても、報告するというより、一緒に見ていきましょう、という言葉づかいになります。
日本では少し事情が違います。園や塾に任せきりになりやすい風潮があり、それが事業者や保育者を苦しめている面がある、と見る向きもあります。任される範囲が広がるほど、現場が背負うものは重くなります。ただ、この文化には確かな良さもあります。日本の園が積み上げてきた育ちへの責任の厚さ、細部までの目配りは、世界的に見ても際立っています。私たちがオーストラリアで日本の保育の話をすると、その丁寧さに驚かれることがよくあります。
ですから、任された役割を返上する必要はありません。育ちの主役の座を、少しだけ家庭に返していく。「園でこう育てます」ではなく「家庭ではどんな姿ですか」と先に尋ねてみる。それだけで、抱えこみは静かにほどけていきます。
具体的な招き入れ方は、むずかしく考えなくて大丈夫です。ある家庭で親しまれている歌を教えてもらう。行事のときに、家庭でなじみのある食べものの話を聞く。子どもが家で話している言葉で、あいさつをしてみる。こうした小さな受け入れが、その子に「自分の家のことが、園でも大切にされている」という感覚を届けます。それは、その子が安心して自分でいられる土台になります。
オーストラリアの GSE には、こんな実践があります。トドラーの部屋で、子ども一人ひとりの写真を目の高さに掲示し、友だちと手をつないでいる姿を描いた絵を並べて飾りました。子どもたちは自分の写真を指さして名前を言うのを楽しみ、そのうちに友だちの名前も呼び合うようになりました。家庭から持ってきた自分の写真が、部屋のなかにあること。それだけで、ここは自分の居場所だという感覚が育っていきます。EYLF v2.0 でいう「アイデンティティ」と「つながり」の育ちを、掲示という静かな方法で支えている例です。
大切なのは、家庭の文化を「めずらしいもの」として特別あつかいしないことです。あくまで、その子のふだんの暮らしの一部として、静かに受けとめる。多様な家庭とともに園をつくっていくとき、保護者は情報を受けとるだけの相手ではなく、園の文化を一緒に豊かにしてくれる仲間になります。
同僚と観察を共有する
つながりは、園と家庭のあいだだけのものではありません。園のなかで、保育者どうしがつながっていることも、同じくらい大切です。ある子の育ちを、一人の保育者だけが抱えているとき、その観察はどうしても偏りがちになります。同じ子の姿を別の保育者と話してみると、「わたしはそこが気になっていたのですが、あなたはそんなふうに観察していたのですね」と、思いがけない発見が生まれます。一人の目には見えていなかった育ちが、語り合うことで立ちあがってくるのです。
こうした、保育者どうしが学びを分かち合い、支え合う関係を「同僚性(どうりょうせい)」と呼びます。むずかしい言葉ですが、中身はシンプルです。子どもの姿を、遠慮なく、それでいて温かく語り合える関係のことです。うまくいったことも、悩んでいることも、安心して話せる。そんな空気のある園では、一人の保育者の気づきが園全体の学びになり、保育の質が静かに底上げされていきます。園の文化が育ちを支える、というのは、こういうことです。
私たちは、この語り合いを「クリティカル・リフレクション(省察的な話し合い)」と呼んで、日々の仕事の一部に組み込んでいます。ある園でアトリエをつくり直したときも、大人だけで決めてしまわず、まず保育者どうしで「この空間は誰のものか」を話し合いました。そのうえで子どもたちを設計に招き、段ボールで協力してつくった作品の写真を見せながら、どんな場所にしたいかを一緒に考えました。子どもたちは話し合って「キュビーハウス(子どもの隠れ家のような小屋)をつくる」と決め、制作にかかる時間や、誰かに壊されたらどう感じるかまで出し合いながら、部屋の約束をつくっていきました。大人が先に語り合ったからこそ、子どもに任せる勇気が出た、という順番です。
一人で観察していると、その子はいつも同じ子に見えてきます。誰かと語り合うと、同じ子のなかに、まだ気づいていなかった姿が現れてきます。
同僚性をめぐる園内の対話より
連絡帳・面談・行事
ここまで読んで、「豪州のようにはできない」と感じた方もいるかもしれません。その感覚は、確かなものです。日本の園では、一人の保育者が受け持つ子どもの人数が配置基準で決まっており、一人ひとりに合わせてじっくり関わりたくても、時間そのものが足りません。保育者の処遇や社会的な立場の面でも、現場から声を上げにくい状況が残っています。文化の違いだけでなく、こうした制度と環境の違いが、そのまま実践の違いになっています。
ですから、この節で挙げるのは、仕事を増やす提案ではありません。いまある仕組みの向きを少し変えるだけの、置き換えの提案です。日本の園には、家庭とつながるための仕組みがすでにいくつも根づいています。連絡帳、個人面談、行事。これらを「こなす業務」としてではなく、保護者と学びを分かち合う機会として捉え直すだけで、協働は今日から始められます。
どれも、大がかりな準備はいりません。いまある連絡帳、いまある面談、いまある行事。その一つひとつに、ほんの少し「分かち合う」という向きを添えていく。人手も時間も限られたままで構いません。それだけで、家庭とのつながりも、園のなかの語り合いも、着実に深まっていきます。
園によって、連絡帳や面談、行事のかたちはさまざまです。ここで挙げたのはあくまで一例です。それぞれの園の実情に合わせて、無理なく続けられるところから取り入れてみてください。オーストラリアの実践は、そのまま持ち込むためではなく、自分たちのやり方を見直すための鏡として使っていただけたらと思います。
現地の実践 / GSE

「育ててくれてありがとう」を、家庭へ
子どもたちが飾りつけた母の日の贈り物。「Thank you for helping me grow」の言葉を添え、家庭とのつながりを大切にします。
豪州の園の記録より(2026-05-08)。
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ハルカ先生
連絡帳とは書く向きが違うのだ、と思いました。報告ではなく、話しかけている。だから返事が返ってくるのだと。あの二通は、いまでも読み返します。
ハルカ先生について。豪州 GSE のエデュケーターたちの記録をもとにした、ひとりの人物です。日本の認定こども園で四年ほど働いたあと豪州へ渡り、現地の職業教育機関(RTO)で Certificate III(幼児教育・保育)を取得しました。いまは GSE のセンターで働きながら、Diploma の取得をめざして通学しています。トドラー(1 歳半〜3 歳)の部屋を主に担当し、配置の都合でキンディ(3〜5 歳)の部屋に入ることもあります。名前と姿は仮のものですが、ハルカ先生が出会う出来事は、実際の記録にもとづいています。
私たちから
保護者との関係は、行事や面談でつくられるものではなく、送り迎えの数十秒の積み重ねでできています。伝えにくいことがある日ほど、その前に良い姿をいくつ手渡せていたかが効いてきます。今週は一日ひと家庭でかまいませんので、その子の嬉しかった場面をひとつ、口に出して伝えてみてください。
グローバルスカイ・エデュケーション エデュケーション・チーム