第 17 章
ある日のできごと
わたしがその日は、配置の都合でキンディ(3〜5 歳)の部屋に入っていました。ふだんの持ち場は、トドラー(1 歳半〜3 歳)の部屋です。テーブルには紙が広げられ、来年には小学校へ上がる子どもたちが、ペンを走らせていました。ただ、紙に残っていくのは、ぐるぐると重なった線ばかりでした。
「最近、子どもたちは絵が描けなくなってきていませんか」。園を回っている教育チームの一人が、その日、わたしにそう言いました。ここ数年、どの園でも感じていることだそうです。わたしには、返す言葉が見つかりませんでした。
図版|初日のテーブル。紙に残るのは、重なった線ばかりでした(記録をもとに作図)
この場面は、豪州 GSE の実践記録にもとづいています。

ハルカ先生
正直に書きます。日本にいた頃のわたしなら、その足でなぞり書きのプリントを探しに行っていたと思います。
子ども主導を大切にしようとするほど、保育者は迷いに出会います。ここで手を貸すべきか、それとももう少し待つべきか。声をかけるとしたら、どんな言葉がいいのか。関わりすぎれば子どもの遊びを奪い、遠慮しすぎれば行きづまりをそのままにしてしまいます。この章で扱うのは、その間合いです。オーストラリアの保育では、この「意図をもった関わり(intentional teaching)」を実践の中核に置いています。ねらいをもって関わりながら、子どもが自分で進む道は空けておく。その関わりを、五つの柱に分けてひとつずつ確かめていきます。子ども主導と保育者の意図は、対立しません。両方を同時に成り立たせる技として見ていきましょう。
この章で得られること
この章を、まずスライドで
五つの柱
子ども主導の保育でいちばん悩ましいのは、「いつ手を貸し、いつ待つか」という判断ではないでしょうか。手を貸すのが早すぎると、せっかく子どもが自分で乗りこえる機会を、先に取り上げてしまいます。かといって待ちすぎると、行きづまったまま遊びがしぼんでしまうこともあります。関わりと見守り、その二つのあいだにあるちょうどよい間合いを見つけること。それが、この章全体を貫くテーマです。
まず確かめておきたいのは、待つことと放っておくことが、まったく違うということです。放っておくのは、子どもから目を離してしまうことです。一方で待つとは、子どもの様子をよく観察しながら、必要になったその瞬間にすぐ動けるように構えていることです。今どこでつまずいているのか、あと少しで自分で気づけそうなのか、それとも助けを求めているのか。そのサインを読みながら、関わる瞬間をこちらが選んでいます。だから待つことは、いちばん頭を使う関わり方でもあります。
大切なのは、正解の間合いが一つに決まっているわけではない、ということです。同じ場面でも、その子がふだんどんなふうに遊ぶか、今日どんな気分かによって、待つか関わるかは変わります。うまくいかない日があっても、それは失敗ではありません。子どもの反応を見て、次はもう少し待ってみよう、今度は早めに声をかけてみよう、と調整していく。その積み重ねが、子どもを観察する目を育てていきます。
では、関わると決めたとき、どう関わるか。オーストラリアの保育では、ここを保育者の勘まかせにせず、「意図をもった関わり(intentional teaching)」として言葉にしてきました。ねらいをはっきり持ちながら、子どもが自分で進む道はふさがない関わりです。その中身は、大きく五つの柱に整理できます。この章では、五つを順に見ていきます。
五つはどれかを選ぶのではなく、その日その子に合わせて重ねて使います。仕掛けで遊びが始まり、問いかけで深まり、足場かけで一歩進み、一緒に決めながら形になり、大人のふるまいがその手本になる。実際の保育では、こうして自然につながっていきます。
意図性をもった遊びを通した学びは、子どもの思考を広げ、知りたい・学びたいという意欲を高め、学びに向かう前向きな構えを育てる。
EYLF v2.0 より
私たちは、この考え方を日々の計画の土台にしています。屋内と屋外の環境を計画し、好奇心、問題解決、エージェンシー(自分で選び、決める力)、創造性、探究を支える。そのうえで、意図をもった関わりによって子どもの考えを理解し、さらに広げていく。豪州 GSE の各園で行われているのは、この繰り返しです。
私たちのカリキュラム設計の手引きでは、こう関わる保育者を「共に学ぶ者」と定めています。私たちのアプローチにおいて保育者は、指導する者ではなく、子どもと共に学び、協働する者だという言い方です。外から教え込む立場に立つのではなく、探究の内側に一緒にいる。手引きが引いている次の一文が、その位置をよく言い当てています。
子どもの相棒として、保育者は学びの状況の内側にいる。
Hewett(2001)/私たちの手引きより
私たちが信じていること
私たちは、意図をもった関わりの代わりになる教材はない、と考えています。なぞり書きもステンシルも、子どもの手をしばらく動かすことはできます。ただ、描く力そのものは育ちません。文字を書きはじめる前に、子どもは形に気づき、その形を自分の手で表す経験を重ねる必要があるからです。線をなぞる練習は、そこを飛ばしてしまいます。
待つことも同じです。手を出さずにいるのは、消極的な行為ではありません。子どものサインを読みながら、関わる瞬間をこちらが選んでいる、いちばん頭を使う関わりです。五つの柱は、その選択肢を増やしてくれます。
柱① と 柱⑤
五つの柱のうち、まず土台になるのが、第 4 章でも少し触れた「足場かけ(scaffolding/スキャフォールディング)」です。この章では、それを実践に即してくわしく見ていきます。足場とは、建物を建てるときに周りに組む、あの仮の足場のことです。工事の途中は支えとして役立ち、建物ができあがれば外されます。子どもの学びを支える関わりも、これとよく似ています。ひとりでは届かない一歩を、しばらくのあいだ支え、できるようになったら静かに外していく。それが足場かけです。
この背景には、心理学者ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」という考え方があります。むずかしそうな名前ですが、中身はとても分かりやすいものです。子どものできることは、三つの帯に分けて考えられます。ひとりでできること。まだできないこと。そして、その間にある「ひとりではできなくても、少しの支えがあればできること」。この真ん中の帯こそ、学びが育つ場所です。足場かけは、まさにこの帯に向けた関わりです。
足場のかけ方には、いくつかの手立てがあります。強く教え込むのではなく、そのときの子どもに合わせて、いちばん軽い支えから選んでいくのがこつです。
足場は、外すためにかける
足場かけでいちばん大切なのは、いずれ外すことを前提に支える、という姿勢です。子どもができるようになってきたら、手伝いを少しずつ減らしていきます。ずっと支え続けると、子どもは「助けてもらうもの」として遊びを覚えてしまいます。支えを減らせるのは、その子が育った証しです。
そして、足場かけといちばん近いところにあるのが、柱⑤の「やって見せる(modelling)」です。言葉で説明するより、そばで一度やって見せるほうが早く伝わることがあります。ボタンのとめ方も、はさみの持ち方も、まず手本を示す。ここまでは多くの園でしていることでしょう。オーストラリアの保育で「やって見せる」がとりわけ大事にされるのは、それが技の見本にとどまらず、言葉づかいや気持ちの表し方にまで及ぶからです。
豪州 GSE のあるトドラールーム(1 歳半〜3 歳)では、この「言葉を示す」関わりが日々の中心に置かれています。保育者が分け合うときの言い方や誘い方をそばで使ってみせ、子どもはそれを真似ながら、順番を待つ、貸してあげるといった社会的な力と情緒を育てていきます。部屋の壁には、EYLF v2.0 の学びの育ち 1(アイデンティティ)と 2(つながり)に沿って、子どもたちが自分の写真を探究した記録や、手をつなぐ姿を描いた絵が並びます。友だちの名前を呼び合い、自分の写真を指さして名前を言うことを楽しむ。その積み重ねが、園への帰属感になっていきます。
この時期は、それぞれが隣り合って遊ぶ平行遊びから、互いを意識して関わる遊びへ移っていく大切な節目です。だからこそ、大人が示す一つひとつの言葉が、そのまま子どもの持ち札になります。次のプロジェクトは、ごっこ遊びだそうです。
わたしが変えたこと
このとき、わたしがしなかったことが二つあります。なぞり書きのプリントを配ること。そして、ステンシルを用意することです。どちらを使っても子どもの手はしっかり動くので、その場はしのげます。ただ、それでは何も変わらない。そう言われた気がしていました。
かわりにやってみたのは、二つだけです。園庭を歩きながら「この葉っぱ、どんな形をしている?」と、自然のなかの形に一緒に気づくこと。そして、子どもが絵を描いているテーブルに、自分もすわること。描こうとしているものを、まず見る。その一点だけを、会話のなかで伝え続けました。うまくいっている手ごたえは、しばらくありませんでした。
三週間後、同じ二人の子が描いたのは、四本の足で立つ生きものと、車輪のある乗りものでした。この三週間にあったのは、質のよい関わりと、学びへの足場かけだけです。教材は、ひとつも増やしていません。
図版|三週間後、同じ二人が描いたもの(記録をもとに作図)
柱④
五つの柱のなかでも、いちばん奥が深いのが問いかけです。子どもが困っているとき、つい正解を先に渡したくなります。しかし答えを渡してしまうと、子どもが自分で考える機会はそこで終わります。答えではなく問いを返す。すると、考える時間は子どもの手に残ります。問いかけは、子どもの思考をそっと前へ押し出す、静かな関わりです。
ここで役に立つのが、「閉じた問い」と「開いた問い」の違いです。閉じた問いは、はい・いいえや一言で終わる問いです。開いた問いは、子どもが自分の言葉で考えを組み立てる余地のある問いです。どちらがよいというものでもありませんが、遊びを深めたいときは、開いた問いが力を発揮します。
もうひとつ、問いかけと同じくらい大切なのが、問いのあとに黙って待つことです。子どもは、大人より考えるのに時間がかかります。問いを投げてすぐに答えを促したり、こちらが先に言ってしまったりすると、せっかくの考える時間が消えてしまいます。数秒の沈黙を、こわがらないこと。その静かな間に、子どもは頭のなかで言葉を探しています。
問いかけの前に、つぶやきを拾う
「もっと高くしたい」という声が聞こえたなら、その願いに問いを重ねます。子どもの興味から離れた問いは、答えを試す質問になってしまいます。まず子どものつぶやきを拾うこと。問いはそのあとです。
豪州 GSE のあるプレキンディでは、この「問いかけの質」をめぐって、実践が一度大きく方向を変えました。ハーブと柑橘の皮を使った五感のプロジェクトを進めるなかで、子どもたちは言葉を使えるものの、その言葉が場面とかみ合っていないことに、保育者が気づいたのです。においを尋ねると「ブルーベリー」と答える。言葉は知っている。ただ、その言葉と実感がまだ結びついていない。そこで私たちは、言葉に触れる機会を増やすのではなく、そこから言葉の意味を引き出せる経験を用意する方向へ切り替えました。
ざらざら、やわらかい、なめらか、でこぼこ。形容詞は、かならず実物と一緒に差し出します。触りながら、においをかぎながら問いかけると、子どもの答えは自分の感覚に根を張っていきます。やがて「お母さんに香水を作りたい」という声が生まれ、香りの袋づくりへと遊びは進んでいきました。問いかけは、正解を確かめる道具ではなく、経験と言葉を結び直す道具なのだと分かります。
問いかけがうまくいくのは、正しい問いを知っているからではありません。子どもが今、何に夢中で、どこでつまずいているかをよく見ているからです。観察が先にあって、問いはそのあとからついてきます。だから問いかけの技術は、話す技術であると同時に、見る技術でもあります。
柱③
意図をもった関わりは、声をかけることだけではありません。もうひとつ、とても大きな手立てがあります。それが環境です。オーストラリアの園ではこれを「プロボケーション(provocation/遊びのなかの仕掛け)」と呼びます。どんな素材を、どこに、どんなふうに置くか。その置き方そのものが、言葉を使わずに子どもの遊びを方向づけます。保育者がそばにいなくても、環境はずっと子どもに語りかけ続けます。これは、次の第 18 章「環境という、もう一人の保育者」でくわしく扱うテーマですが、ここでは五つの柱のひとつとして、その入り口にふれておきます。
私たちの手引きでは、この仕掛けの働きをもう一歩ふみこんで書いています。保育者は、組まれた出来事や経験や仕掛けを通して、意図的に「均衡の崩れ」を起こし、子どもから興味と問いが生まれるようにします。均衡の崩れというのは、それまでうまくいっていたことが少し揺らぐ状態のことです。いつもの積み方では届かない、同じ混ぜ方では思った色にならない。その小さな揺らぎが、子どもの「どうして」を呼び起こします。ねらいは子どもを困らせることではなく、考えたくなる隙をつくることです。
たとえば、色水遊びをもっと探究に近づけたいとします。「色を混ぜてごらん」と言うかわりに、赤・青・黄の三色と、透明なカップをいくつか、そっと並べておく。それだけで、子どもは自然と混ぜはじめ、新しい色が生まれる驚きに出会います。言葉で導かなくても、環境が「やってみたい」を引き出しています。これが、場で意図を込めるということです。
場に語らせる
言葉で指示すると、そのとおりにやる遊びになりがちです。環境で導くと、子どもは自分で見つけた遊びだと感じます。同じ意図でも、言葉で伝えるか場で伝えるかで、子どもの主体性はまるで変わります。声をかける前に、環境でできることはないかを一度考えてみる。それだけで、関わりの引き出しが増えます。
仕掛けは、心を動かすものであるほど力を持ちます。豪州 GSE のある園では、6 月 8 日の World Ocean Day に合わせて、海の生きものとゴミを並べたしつらえを用意しました。そして、子どもたちに一言だけ問いかけました。「ゴミの中で暮らすとしたら、どう感じる?」。子どもたちは「いやだ」と言い合い、話し合ったすえに、自分たちの手で「海」からゴミを取り除いていきました。近くのブロードウォーターでは Beach Kindy を行っているので、この学びは浜での観察や、安全なゴミ拾いへと続いていきます。
私たちはレッジョ・エミリアに着想を得た園として、環境を「三人目の教師」と考えています。だから、子どもがいつでも自分で使える小さなアトリエ(ミニ・アトリエ)を部屋の一角に置き、再利用の素材や箱を切らさないようにしています。大人の許可を待たずに手を伸ばせること。それ自体が、エージェンシーと創造性を育てる仕掛けになります。
柱②
最後の柱が、協働してつくる(co-construction)です。足場かけが「支える」関わり、やって見せるが「示す」関わりだとすれば、これは「一緒に考える」関わりです。大人が答えを持っていて、それを子どもに近づけていくのではありません。何を作るか、どう進めるか、どんな約束にするかを、子どもと保育者が一緒に決めていきます。決める過程そのものが学びになる、という考え方です。
豪州 GSE のある園に、分かりやすい例があります。ある空間をアトリエとして使おうという話は、はじめは経営レベルで持ち上がりました。ただ、大人が作り上げてしまえば、そこは大人の部屋になります。そこで私たちは、設計そのものをキンディの子どもたちに任せることにしました。
保育者はまずクリティカル・リフレクション(省察的な話し合い)を重ね、段ボールを使った協働アートの作品を仕掛けとして子どもたちに見せました。子どもたちは展示の画像を囲んで話し合い、「キュビーハウスを作る」と決めました。ここから先が、協働してつくる関わりの核心です。保育者は子どもたちが進む方向に沿いながら、要所で一緒に考えました。作るのにどれくらい時間がかかりそうか。誰とどう分担するか。もし誰かに壊されたら、どんな気持ちになるか。そうした問いを重ねるなかで、部屋の約束は子どもたちの言葉で形になっていきました。
この過程で、子どもたちには設計の力だけでなく、リーダーシップや問題解決の姿も現れました。誰かに任せきりにせず、意見が割れたら調整する。自分たちで決めたからこそ、その場所を大事に使うようになります。
ゴールを決めず、行き先の候補を多く用意する
私たちの手引きでは、プロジェクトの計画の立て方をこう定めています。大まかなねらいは立てますが、細かい目標やプロジェクトのゴールを前もって決めることはしません。かわりに、そのプロジェクトが向かいうる方向を、できるだけ多く仮説として出しておきます。日本の指導計画に慣れていると、ゴールがないのは心もとなく感じるかもしれません。ただ、決めていないのは一つのゴールだけで、そこへ向かいうる道筋のほうは前もっていくつも考えてあります。子どもがどちらへ進んでも、保育者はその道を一度は思い描いている。だからこそ、子どもが決めたほうへ落ち着いてついていけます。
ここまでの五つの柱は、いかにも一人ひとりにじっくり向き合う保育を思わせるかもしれません。ただ、日本の園には、一斉活動を大切にしてきた長い積み重ねがあります。みんなで歌い、みんなで製作し、みんなで片づける。その良さは確かにあります。担任一人で二十人、三十人を見る現場で、一人ずつに足場をかける時間はどこにあるのか。そう感じるのは、とても自然なことです。
結論から言えば、すべての場面で全員に完璧な足場かけをする必要はありません。一斉活動をなくす必要もありません。一日のなかに、意図をもった関わりが生きる小さな時間を、いくつか見つけていく。その積み重ねで十分です。
大切なのは、一斉か個かの二択で考えないことです。日本の園がこれまで積み上げてきた一斉の良さを捨てるのではなく、そこに個への意図をもった関わりを少しずつ織り込んでいく。歌う時間はみんなで、遊びの時間はその子のペースで。両方があってよいのです。今のやり方を全部変えるのではなく、明日、一人の子に一つだけ問いを返してみる。その小さな一歩から始められます。
足場をかけ、一緒に考え、仕掛けを置き、問いを返し、やって見せる。五つの柱はどれも、子ども主導と保育者の意図を両立させるための技でした。そして五つのうち三つは、環境の力に支えられています。次の第 18 章では、そのなかでもとりわけ大きな力を持つ「環境」に、もう一歩ふみこみます。環境を、もう一人の保育者としてとらえ直していきましょう。
私たちは各園で、日々の遊びのなかに五つの柱を織り込んでいます。本書の実践編では、足場かけ・協働してつくる・仕掛け・問いかけ・やって見せるの具体的な場面を、現地の記録とあわせて紹介していきます。
現地の実践 / GSE
物語を読んだあと、糸だけ置いておく
エリック・カールの『くもさんおへんじどうしたの』を読んだ週の記録です。子どもたちは農場の動物とその鳴き声に夢中になり、クモはなぜ忙しいのか、あの巣で何をつかまえるのかを話し合いました。その翌日、エデュケーターは黒いトレイに白い糸を巣のように張り、動物とクモの模型、ユーカリの葉を置きました。
「クモの巣をつくりましょう」とは言っていません。糸が張られただけです。誘いを場のほうに預けておくと、子どもは自分で決めて手を伸ばせます。その日に手を出さなかった子がいても、それでよいことになります。
手に取った子だけでなく、遠くから見ていた子のことも残しておきます。次は素材を増やすのではなく、置く場所を変えてみます。物語のそばに置いた日と、少し離して置いた日で、近づく子が変わるかどうかを見ます。
ここでエデュケーターが選んだのは、場で導く関わりと、待つ関わりでした。読んだ物語を活動に変えるとき、糸一本まで用意しておいて、そこから先は決めない。関わりの強さではなく、選べる余地の残し方が問われます。
豪州の園の記録より(2022-07-27)。
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これは、ステンシルやなぞり書きで生まれたものではありません。支えたのは、質のよい関わりと、学びへの足場かけだけです。
豪州 GSE 教育チームの実践記録より

ハルカ先生
それでも、待つのはいまでもいちばん苦手です。先週も、はさみが持てずに固まっている子のそばで、三十秒だけ黙っていました。長かったです。手を出したくて、指がうずうずしました。その子は、自分で持ち方を変えました。わたしが教えるより、ずっと確かな持ち方でした。
ハルカ先生について。豪州 GSE のエデュケーターたちの記録をもとにした、ひとりの人物です。日本の認定こども園で四年ほど働いたあと豪州へ渡り、現地の職業教育機関(RTO)で Certificate III(幼児教育・保育)を取得しました。いまは GSE のセンターで働きながら、Diploma の取得をめざして通学しています。トドラー(1 歳半〜3 歳)の部屋を主に担当し、配置の都合でキンディ(3〜5 歳)の部屋に入ることもあります。名前と姿は仮のものですが、ハルカ先生が出会う出来事は、実際の記録にもとづいています。
私たちから
関わらないことと、待つことは違います。待っているあいだ、私たちの頭のなかはいちばん忙しく動いています。今日は一場面だけ、口を開く前に十数えてみてください。十のあいだに子どもが自分で動き出したなら、その子には足場がもう足りていた、ということです。
グローバルスカイ・エデュケーション エデュケーション・チーム